家紋を考える
今日は、父親の墓参りにいってきました。
母親や家族、弟の家族と一緒にお墓を掃除して、父親を送ってきました。
今まで気にしていなかった、お墓の家紋を見てちょっ調査をしてみました。
現在研究しているPictogramの影響に興味があり、家紋の意味に興味を持ちました。
我が家の家紋は、「抱き沢瀉(おもだか)」という紋で、おもだかは、里芋の葉のごく小さいものだそうである。食用の慈姑(くわい)は、沢瀉の変種という。
「おもだか」は、日本十大家紋の一つで使用家は多いそうである。
紋を史上有名にしたのが幕末の老中、水野忠邦である。そのルーツは、尾張国知多郡英比郷小川が祖地で沢瀉の産地であった。水野家はもと小川家を名乗っていた。沢瀉は水田、小川に自生するというから、英比郷小川は水の豊富な所である事が、いながらにしてわかる。
沢瀉紋の使用県の多いのは、静岡、埼玉、長野、愛知、岐阜、京都。
神紋は、京都御霊神社。
中津沢瀉紋として知られている豊前国、中津藩十万石奥平氏の替え紋。
沢瀉紋として217種辞典に載っているが、まだまだこれ以上あることが予想される。
父親は、栃木県足利市の出身で、亡くなったお爺ちゃんからは、足利尊氏一族の家系と聞いている。亡くなったお婆ちゃんの旧名が、武藤という名でもあり。どうやら、武家の家系であるようである。
「沢潟(おもだか)」は、一名勝ち草とも称し武家が好んで用いたと言われる。
酒井、前島、稲葉、清水、川口、小川、平井、米倉、前島、鈴木で使われることが多いとことである。
この調査から得られた本日のシナリオは、以下の様である。
- 堀江家は、武家の出身であるが、江戸時代は入り江、川を掘る仕事に関連しており、水辺に住んでいた。沢潟の家紋が示すように、水に関係している職業が天職である。
- 実家は、江戸時代亀が住む堀の多い亀戸出身である。
- ヨットで太平洋を横断した堀江謙一氏とは一文字違いである。私も、大学時代はヨットをしており、海の上に1年間の3分の2はいた。
- 社会人になってから、アメリカカリフォルニア州のサンフランシスコに近い場所に駐在になって、毎日のようにサンフランシスコ湾を眺めながら10年間過ごしていた。
- 大学院でも、懇親会は「さくら水産」や「養老の滝」などやはり水との関係が絶えずある。
このコンテクストから、新たに私は以下のシナリオを創発させた。 研究テーマは、『水のように柔軟でダイナミックに姿を変える社会に対応する新たな知識の創発手法の開発』である。
なかなかPictogramの示唆は深い。
1 Comments:
はじめまして。
私の名前も堀江で父親が栃木県足利市の出身です。
親戚かもしれないですね。。
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