Tuesday, March 28, 2006

情報におけるスケールフリー構造と分散構造

昨晩、M氏のデータ結晶化の研究成果についてゼミでの発表があった。
ダーミーノードを入れ、データを結晶化すると、スケールフリー構造になることがわかり、諜報活動における隠れたリーダーを発見できそうな可能性が示唆された素晴らしい研究であった。
しかし、もう一つのデータからは、スケールフリー構造が現れず、分散構造となっていることが課題としてあがり、諜報活動における隠れたリーダーの存在が見つからないということであった。
昨日から読み始めている、James Surowiecki著の『「みんなの意見」は案外正しい』(The Wisdom of Crowds)第4章「ばらばらのかけらを一つに集める」のなかで、アメリカ合衆国の諜報活動の分散性の問題点が記述されており、それが今回の状態ではないかとのヒントとなった。
1946年4月ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙が主催したフォーラムで戦略情報局(OSS)の長官を務めたビル・ドノバンが、「我々の外交政策には中央情報局が必要だ」と主張した。第二次世界大戦前のアメリカは、複数の軍事機関が諜報活動を担っていた。しかしながら、日本の大規模な軍事行動に対する証拠が多数あるものの、どこも真珠湾攻撃を察知できなかった。
その後、1947年「指揮命令系統の統一と諜報活動の統一という原則を実行に移す事」を目標に中央情報局(CIA)が設立された。ところが、現実には中央集権化は起こらず、以前にも増して諜報活動が細分化していった。CIAの他にも、国家安全保障局、国立画像地図局、国家偵察局、国防情報局、それに陸海空の三軍の諜報活動も加わり諜報活動はごった煮状態で、責任範囲や任務が重複するようになった。建前は、CIA長官がアメリカの諜報活動機関すべてを統括する立場にあったが、現実はCIA長官の他機関への影響力は限られていた。また、諜報活動の予算は国防総省が決めていた。
ドノバンが描いたような情報と分析が一ヶ所に集中して管理され無い代わりに、アメリカの諜報機関はアメリカを守るという大きな共通目標の下にそれぞれ大きく異なる方法で協議する、分散化した自立的な集団の寄せ集めとなった
分散性は、労働、興味、関心など様々な視点から見た専門性を奨励し、その専門性が分散性を促進する。分散性はシステム全体として視野を広げ、意見や情報の多様性を生み出す。しかし、分散性の決定的な問題は、システムの一部が発見した貴重な情報が、必ずしもシステム全体に伝わらない点である。
理想は、、個人が専門性を通してローカルな知識を入手し、システム全体として得られる情報の総量を増やしながら、個人が持つローカルな知識と私的情報を集約して集団全体に組み込めるような状態になっていることである。
すなわち、リナックスのリーナス自身を含む一握りの人たちが、世界中から集まったコードの情報をOSのソース・コードに加えるべき修正点か綿密に検証し、決定するような状態であろう。

この記述から、M氏が入手したデータを再考すると、敵方諜報組織は組織構造がアメリカのように分散性に富んでおり、情報の集約は常時行われていない。常態は、分散構造である。ある行動を起こすときに、その分散構造の情報があるハブを中心に動き、スケールフリー構造になるのではないだろうか?
すなわち、組織が分散組織であるため常態は分散性にとも諜報活動を行っているが、ある情報を集約したり、意思決定を伝達する場合にある流動的なハブを中心にスケールフリー構造になるという、変態構造をもつ構造なのではないかと考える。

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